美々卯のあゆみ

「美々卯」は、大阪の町を舞台に時代に合わせ少しずつ変わりながら長い歩みを続けて参りました。

1751

歴史の始まり

泉州・堺に長く続いた
料理旅館「耳卯楼」

15世紀後半より日明貿易や南蛮貿易の舞台として栄えた泉州・堺。美々卯の前身である旧家の耳家はここで商いを営んでおり、宝暦元年(1751)頃には料理旅館「耳卯楼(みみうろう)」を開業しました。代々の当主は耳卯兵衛を名乗り、堺市立図書館には上中下三巻に及ぶ「堺耳家文書」が今も残されています。明治31年(1898)刊行の『日本全国商工人名録』にも耳卯楼の名が。人の行来が激しい堺の町で、人々においしいものを提供するのが耳家の役割でした。明治34年(1901)、耳家の四男坊として生まれたのが美々卯初代・平太郎。幼い頃に同じ堺で北前船を営む薩摩家に養子に入り、その後生家に戻り育ちました。

1925

暖簾替え

大阪・道頓堀で始まった
蕎麦と小料理の店

江戸時代より続いた泉州・堺の料理旅館「耳卯楼」。ここの子息であった美々卯初代・平太郎がその後多くの料理店で修業を重ねた後に、妻のきくと共に大正14年(1925)、道頓堀のそばに開いた店が「美々卯」です。美々卯初代・平太郎24歳の時でした。当初はこだわりの蕎麦を軸に日本料理を展開していました。数寄者でもあった美々卯初代・平太郎は、多くの文人墨客、名料理人、芸能関係者や官界の人々からも愛され、次第に評判を集めるようになりました。昭和20年(1945)の大阪大空襲で店を焼失し、戦後早々に美々卯初代・平太郎が急逝という憂き目に遭いますが、残された家族が一丸となって、昭和21年(1946)に新しく本店(写真)を再開し、美々卯の次章が始まりました。

1928

転機

名物「うどんすき」が
生まれた日

「美々卯といえばうどんすき」と思ってくださるお客様が多いのですが、美々卯初代・平太郎が大正14年に「美々卯」を開業した当初は、蕎麦処と銘打った日本料理店でした。風情あふれる和風建築の店舗内には工芸作品や日本画を飾り、器も食材も一級品を揃えた店構えで、美々卯初代・平太郎が懇意にしていた「吉兆」の創業者、湯木貞一氏や文豪の谷崎潤一郎をはじめ、多くのお客様にご支持をいただいておりました。名物のうどんすきは、創業から数年が経った昭和3年頃に美々卯初代・平太郎が考案したもの。忙しい日々の中で、創意工夫の精神に富んだ美々卯初代・平太郎が編み出した贅沢で新しいうどんの楽しみ方は、たちまち多くの食通の方々の評判となり、以来約100年にわたり愛されています。

「食材の旨みがさらに出汁をおいしくするんです。
その出汁でじっくり煮込んだうどんが主役。
もちろん、出汁もごちそうです」

故・薩摩卯一(二代目「美々卯」店主)

1960〜
80年代

発展

大阪から日本全国へ。
「うどんすき」を届け続けて

戦後、初代の長男である薩摩卯一が跡を継ぎ、美々卯は成長を続けました。昭和33年(1958)には会社組織に変更。就業規則第一条には「厳しい修業、鍛錬を経て、最高の芸術品を創り上げよう」と謳い、美々卯の味を世に伝えるべく地道に精進してまいりました。同時に大切にし続けているのが、料理の品質です。店舗数が増えて宅配商品でもお客様に美々卯の料理をお届けできるようになった今でも、驕ることなく、先人から受け継いだ味の遺産を未来に繋いでいくため日々を過ごしています。時代は移り、気候変動や流通スタイルも変化しました。工夫を凝らさなければ、変わらないおいしさをお届けし続けることはできません。長い歴史に恥じない未来を築いてまいります。

2025

美々卯として100年

ようやく100年、まだ100年。
変わらないために変わり続ける

一つ、また一つ、大阪生まれの日本料理を作り続けてきた結果、美々卯として100年という節目を迎えることができました。その間、時代は昭和から平成、令和に移り、会社を一企業として押し上げることに尽力した三代目の薩摩和男を経て、現在は四代目の江口公浩が舵取りを任されています。美々卯の料理の味が変わったかというと、そんなことはありません。ただ、時代が変わりました。それは従業員や料理人たちの意識変化であり、地球気候の変動によって食材や生産者を取り巻く環境が変わったことでもあります。同じ手法を続けていては「変わらぬ美々卯」であり続けることはできません。原点を見つめ直し、私たちは変わり続けます。

「”変えちゃいけないことは何一つない”という先代の言葉を支えに、美々卯の暖簾を守り続けたい」

代表取締役社長 江口公浩

美々卯が目指す未来

「美々卯」として100年を過ごした私たちですが、前身「耳卯楼」は1751年頃に創業していました。令和になってそのルーツを改めて調査したところ、そもそもの始まりは港泉州・堺に続いた魚問屋であったことが判明。そして270余年を経た今、「美々卯」は再度漁業に向き合うことを始めています。屋台骨であるうどんすきや蕎麦は、良い出汁がなければ完成しません。それはつまり、上質な鰹節や天然昆布の生産現場を守るというのも私たちの使命であるということです。さらにはうどんや蕎麦の主原料である小麦粉や蕎麦粉もしかりで、農業も同様に大切です。そしてここで働く人々も。美々卯を通して「おいしい」のその先にある豊かさを考えたいと思います。

食の安全を守る美々卯は産地との連携をより深めていきます

美々卯は長きにわたってお付き合いを続ける多くの生産者の存在によって生業(なりわい)を続けられています。しかし、気候環境の変化や農業・漁業従事者の高齢化による廃業などの問題により、近年、多くの生産者が昔と同じように仕事を続けるのが難しくなってきています。食環境の衰退は私たちにとっても由々しき問題。この事態を共に乗り越えるため、相互協力や勉強会の開催、さらには協働体制を探るなど、私たちは新たな農業・漁業のあり方を模索し、伴走します。

日本料理の文化を絶やさないために食育への取り組み

「大阪生まれの日本料理を、お客様にお届けし続けること」こそ、私たちの存在意義。時代の変革を受け入れ、新たな息吹を享受することに前向きですが、同時に日本料理という文化を絶やさないための努力は必要不可欠です。そのため、料理だけでなく器の素材や使い方、店のしつらいやおもてなしの作法にまで徹底的にこだわります。一つ一つは些細なことでも、それらが静かに重なり合うことで伝統や文化は正しく継承されていくと美々卯は信じているからです。

より良い社会の実現を目指して企業文化を育成する

人は生活のために働きますが、それだけでは足りません。美々卯では、社会のため・国のため・未来のために仕事があると考え、そのベースである企業文化の創造に尽力しています。環境や性別といった要素に左右されず、生き生きと好きな仕事に打ち込めるように。ライフステージに合わせて働き方を調整できるように。社員の挑戦したい気持ちをバックアップするべく、企業文化の育成に努めてまいりました。豊かな社会実現の第一歩がここにあると考えています。

美々卯 オンラインショップ

お家でも、店舗と変わらない美々卯の味をお届けします。

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